大学放浪記

外部の大学院への合格体験談みたいな適当な雑記

言葉は共感の為のツール

久々のブログ更新です。
研究室配属されてから極端に人と合う回数が減りました。
寂しさを感じると同時に今まで多くの人と付き合ってきたんだなぁと感じております(と、いっても大学入ってからの友達は50人かそこらですが…)

人との会話のお話。
人と会話する機会が減るとどうしても人はストレスを感じてしまうのではないか?という考えが最近私がよく思う事です。
というのも私の同期(四年次)の友達に体調を崩す人が多い為です。(就活疲れもあるかと思いますが)
私も最近は身体の調子が優れません。どこかストレスを感じているのかもしれません(笑)
やはり人との会話は様々な情報や知識、そして考えをお互いに与え合っているものだと思います。
また同時にお互いの感情を豊かにしてくれる点では心のケアにもなっているのではないでしょうか。

近況報告
絶賛研究生活も始まり、学会誌を読んだり院試の対策をしたりと何だかんだでやるべきことが多い日々を過ごしております。
そんな日々を過ごす中『言葉を学ぶ』意義について考える機会がありました。
私が現在英語をはじめとする母国語以外の言語を学ぶ理由としては『グローバル社会への適応』『自己の研鑽』など様々な理由がありますが、
何よりも重視している事があります。それは『共感』という事です。
元来『人が言葉を使うようになった』理由としては他人との交流の為という理由がまず最初に考えられます。
他人との交流はすなわち『共感』を行うことです。

『言葉』は『文化・風習』などから生まれ、『言葉』を使う事は『その文化や風習』を理解した前提で行われなければなりません。
語りかける相手の文化を知る事によって相手との間に『共感』が生まれるものではないかと思います。
これは異人種間だけでなく『専門分野』にも同じことが言えるのではないでしょうか。
よく『専門用語』を公の場で使うことを『説明が下手』と言う人がいます。
ですが私は『専門用語』を公の場でわざわざ使うという事は『その手の専門家』との『共感』の為に用いられているのではないかと考えます。
勿論『一般人』向けの説明の場でこうした『専門用語』を用いる事はよろしくないのではないかと思います。(意図的に専門用語を用いて場をはぐらかす場合もありますが…)

この話は先程述べた人との会話との話にも応用出来ることでありまして、話す対象との間に『共感』が生まれるような会話を行うことが互いにとってプラスの作用を与えているのではないでしょうか。
このblogが読み手の皆さんとの共感を生む役割を果たしているのであればいいな、と多少の不安を抱えつつこの文章を締めたいと思います。